That's fine

英国人マーガレット・モリスが創ったダンスの事、音楽、日々感じた事などを書いていきます

【改訂版】運動音痴の私がダンスの先生になった日 神戸&大阪と私7

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これは、子供達を対象としたイベントの時の写真

仲間達と共に、沢山の子供達にMMMを体験して貰いました

 

今私は、公立保育園でお稽古させて頂いています

ここまで来るためには、まだまだ時間を要しました

 

 

あの時

幼児さんを教える試験は、そこまで大変じゃないよと聞いた時

私は、いつか幼稚園や保育園で教えるようになりたい

そういう夢を持ちました

 

それを先生が、英国トップ、つまりMMM代表

マーガレットからMMMを託されたジム先生にお話し下さいました

ジム先生は、子供達への教育は大変重要だ

そういって、私がそれを志したことを

とても喜んで下さったのです

 

幼児さんのティ-チャーを志す数名の仲間と

レッスンが始まりました

 

「Health Play」

 

60ものエクササイズがあり、そこでもやはり

呼吸の為のエクササイズが含まれています

 

動くためにはエネルギーが必要

そのためには酸素が必要

だから、呼吸が大切になってくるわけです

 

エクササイズは、とっても楽しいものです

子供達は、ただ面白く楽しく「遊ぶ」でしょう

でも、ちゃんと身体を鍛えられるように

笑顔で出来るように創られています

 

私たちは、60のエクササイズを全て教わり

その中から数個を選んで物語を創り、組み込んで

楽しいクラスを創っていく手順を習いました

 

ある日、先生と二人でじっくり話しする機会がありました

子供達を育てる、つまりMMMの未来を創ること

そんな希望あるお話しをしていました

 

「先生、育てた子供達は、チルドレンにあがったら、

今、チルドレンを教えている先生に引き継いだらいいですね?」

 

私は、そのつもりでしたので何気なく問うと

自分の生徒は、最後まで自分でみた方がいいのではないかな?

 

という趣旨のお返事

え? …ということは?

 

本当にMMMは、きちんとしたダンスだと思います

ちょっと習っていたからといって、勝手に先生にはなれません

そして、チルドレン(児童期の子供達のクラス)を教える為には

まず、大人の人を教える資格を取らないと

勉強することも許されないのでした

それだけ、子供達を教えるというのは難しいことなのです

 

Basicティーチャー(先生レベル1)を取る、ということでした

 

あわわ…

内心、えらいことになったぞ、と思いました

幼児の先生なら、勉強出来るかもと思っていたのに

結局、同時に大人の初級の人を教える資格を

取ることになってしまったのです!

 

しかし、私の中では覚悟が出来ました

やるぞ、やってみせる 私はやると決めたぞ!!

 わ

私は、何かの力を感じていました

背中を押されるような、

前にしか道はない、この道を進め

そういう不思議な声というか

 

それは心の奥にあった、十年を超える間持ち続けていた

私のシコリだったかもしれません

私が最初に先生の夢を叶えられなかった

ずっと一緒に頑張ってきたのに

あの集会所での、リノリウムの床の冷たさを知っているのに

先生の苦労を知っているのに、諦めてしまった自分

ずっとMMMを見つめてきたのに

私が語らずに、誰に語れようか! 神戸&大阪のこと

先生はご自分の苦労話しなんかされる方ではない

 

MMMのティーチャーになる

 

やりたいと思うことを、覚悟を持って

強い思い、信念をもってやれば

人間というのは、人から見て大変なことでも出来てしまうのですね

 

私は、それを先生の姿を見ることで学んでいました

たった二人で始まったクラスを

努力し、実力をつけ、そして強い信念を持つことで

MMM神戸&大阪を大きく育てた先生

先生は、頭脳明晰な上、懐深く、心温かく

組織をオーガナイズ出来る力を持った

非常に希有なティーチャーであり、ダンサーであります

どれ一つ足りなくても、ここまでにはならなかったでしょう

 

話しを戻します

思いも掛けなかったBasicティーチャーの勉強

やると決めたはいいけれど…

これがもう、私には大変な作業でした

古いBritishで書かれているテキストの訳

ここでまず大抵の人が、ボディーに一発食らうでしょう

 

カナダ人の英会話の先生に聞いても

ボクハ ネイティヴダケド ワカラナイ  ゴメンナサイ

コレニトリクム アナタタチハ スバラシイデス

と、言われる始末です

 

更に

先生なのだから、美しく正確にパフォーマンスできないといけません

正しいカウントで、正しい呼吸法でお手本を見せ

エクササイズの効果を伝えます

書かれている注意点、いくつもありますが

それを漏らさず話しながら、滞りなく指導できる力

 

覚えられない…(-_-;)

 

ここで、顔面にカウンターを食らう感じでした

次々出される課題、あれもこれも

しかし、よろけてもタオルをリンクに投げるわけにはいきません

 

学生の頃には自信があった記憶力は、急降下していました

他の課題の準備もし

同時並行で、幼児さんの試験の勉強もし、レポート書き

 

更に私はとんでもないことを考え始めました

おぉ、そうだ

子供達のことを、もっと深く勉強したほうが良いなぁ

ただ本を読むだけなら、勉強といっても身につかないなぁ

 

突然私は思いたちました

どうせ勉強するなら、資格が取れることをしよう

そうだ、保育士を取ろう! 国家資格だし

 

手は二本でしょ?

そう過去の自分言ってやりたいくらいですが

これが私という人で、思い立ったら吉日

早速、通信教育に申し込みました

 

私は2005?か、2006年頃からMMMティーチャーの勉強を

始めていたのではないかと思うのですが

保育士の勉強を始めたのも、2005年だと思われます

 

私は、初めて試験を受けて3年以内に全てを合格しないといけない

そういうシステムの保育士試験に

一発合格してやる! と狂ったように勉強を始めました

 

狂ったようには、家族談

余っている全ての時間、机の前に座りました

何日も休まず、休みの日は一日中

その結果、天井がグルグルして気分が悪くて立てなくなりました

そこまでしたつもりはなかったのですが

例によって悪い癖で、やり過ぎちゃったのですね

身体が「勉強止めて-」と警報を鳴らしたのでしょう

周りからは、無茶するなと随分叱られました

暫くフラフラしましたが、休むと治りました

 

反省…

 

それで、一発合格を諦めて3年掛けて

私は保育士資格を取得しました

中々手強かったです。嫌いな教科は覚えられなくて困りました

運が良かっただけ、、、冷や汗ものでしたが

兎に角、私は国家資格も手に入れて武装しました

 

そして、2008年

私はついに幼児と、Basicティーチャーの試験を受けました

 

ヘルスプレイの試験の時は、

本当の子供たちに生徒役になってもらいます

私は、演技することに抵抗がありません

(舞台とか明るくないところで、子供がいると平気になる)

試験官のジム先生はニコニコ

時には笑い声が聞こえて、私はよし!

手応えを感じつつ、子供たちと楽しく試験を受けました

終った後、ジム先生は私の夫に

Mayumi はactresだ、といってご機嫌だったそうです

ジム先生にそんな言葉を言って貰えるなんて!

私は、もう喜びで一杯になり

歌えない歌を歌い、明るいところでも踊り出したいくらいでした

 

運動音痴の私が、骨皮すじ子だった私が

気づかぬ間に、筋肉がつき始め逞しくなっていました

嬉しいことに、ウエストに見事なクビレ!

かなりの時間歩いても、疲れなくなり

そして、少しずつエクササイズの階段を上ることで

若い頃には考えられなかった動きができるようになった私

随分と遠回りをしましたが、当初の夢であった

 

MMMのティーチャーになったのです!

 

始めたのが、1993年?だったでしょうか

それから、15年も経ってしまっていました

44歳になっていましたが

私は、自分の新しく始まる未来が

楽しみで仕方ない一方で

クラスを持つ為の活動という

現実的な問題に取り組んでいくことになりました

 

資格を取れば生徒が集まる、そんな訳ありませんよね

その時になって、一層先生の苦労が身に染みたのでした…

一体どうしたらいいのか

レッスンがしたい! この一心で色々模索が始まったのです

 

 

さて 

本日は、私が大好きな方のブログをご紹介させて頂きます

沢山おられるのですが、先日読ませて頂いた内容が

私の心にとても響きましたので

皆様にも、お読み頂きたいと思いました

過去のどの記事を読ませて頂いても

心打つものを書かれておられます

是非、ご訪問なさって下さい(^_^)

morimariko.hatenablog.jp

 

本日も最後までお読み頂き

ありがとうございました

またご訪問下さい(^_^)/