That's fine

英国人マーガレット・モリスが創ったダンスの事、音楽、日々感じた事などを書いていきます

【改訂版】人生は小さな事で激変する。躍進するMMMと照らされた新しい道 神戸&大阪と私6

 

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先月仲良しの友人と、里山へ行ってきました

仕事でお世話になっている方のご実家です

一昨年もお邪魔して、持ちきれない程のお野菜を

厚かましく頂いて帰りました

写メは、昼食時に畑で野菜をとってきて下さり

盛り付けて頂いた「男のサラダ」(^_^)

 

普段出来ない収穫作業、そして取れたて有機野菜サラダ

山の竹を切る体験と、コップになったその竹や

沢山のお野菜を頂いて

帰りには、その方の現代アート展を見せて頂くという

盛りだくさんな一日でした

 

普段行かないところへ行き、しないことをする

いえ、自然と向き合って「命を頂く」という行為は

日頃の人間界の煩わしいことや、悩みを

 

「つまらんね、小さいことだよ」

 

という言葉に変換してくれる

そんな、リフレッシュできた休日でした

 

 さて、私の激動期が過ぎた頃のこと

ポツリ、ポツリとしか記憶がありません

趣味から遠ざかり、英会話にはまり
MMMにティーチャーが生まれた頃です

 

いくつかのシーンがあります

 

これは少し前の出来事ですが、はっきり覚えています 

お稽古の時に、カルチャーの担当者が見学に来られたこと

そして、先生が一つのカルチャーに入られ

気がつけば、あちこちに行かれるようになっていたこと

 

ある新聞社のカルチャーに行かれていた先生

その新聞の冊子の表紙に、先生の写真が載りました

何て素晴らしい事だろう!

先生が全国紙の新聞の冊子に載っている!

MMMが紹介された喜びは、私の語彙力では表せません

 

メンバーは一気に増えました

シニアの方も多かったのですが

私と同世代、そしてもっと若い方々も仲間になりました

他のダンスの経験者もいて

全体のレベルはグググっと上がり

神戸は大いに盛り上がっていきました

 

そんな中で、新しいティーチャーも生まれたわけです

勿論、皆が目指すわけではありません

MMMは、自分のペースでで出来ますので

無理して試験を受けて上にあがることも求められません

しかし、MMMにこられるシニアの方は

驚くほど熱心で、前向きな方が多く

80才でレッド、という5段階目を楽しんでいる方もおられます

 

ワークショップの時に、リサイタルも開かれました

私は、舞台で踊る機会も頂きました

 

本当に、こんなところまできたのだな…

私は、先生の傍で見てきた者としての

私にしか分らない感慨にふけっていたのでした

 

で、どこまでいっても元々の運動音痴が

完治するわけではありません

リサイタルの為の振りを覚えるのは、苦手でした

あれだけ、いつか私も踊れるようになるかなぁ?

などと憧れていたことなのに… 

 

それに、なんと言いますか…舞台も嬉しかったのですが

人前で踊ることに、大きな喜びを感じることは出来ませんでした

 

私は、趣味で舞台を創っていましたが

私の担当は脚本です

舞台に立って演技したり歌ったり踊ったり(ミュージカルでした)

照明を浴びるような場所に出られる才能は、全くなかったのです

なので、「明るいところ」で踊るというのは

その当時の私にとっては、まだ敷居が高いというか

ただただ、必死で楽しめなかった、という感じでしょうか

 

それよりも、その経験を生かして

裏の仕事をしている方が、充実感があったのです

 

MCの原稿を書く、照明さんに台本を書く

当日の舞台監督をする、等

私は、私にしか出来ないことをして

MMMの役に立てることが嬉しかったのです

 

私は根っから、裏方気質なのかもしれませんが

表には、上手な人が出て踊ればいい

 

私なんか、、、

 

正直なところ、そういう思いもありました

素晴らしい仲間が出来たことは、大変嬉しかったのですが

初めから長く習っている者としては

それを言うのも恥ずかしい、という思い

そんなに長くやっていて、そんな程度なんですか?

と思われることは、先生に対してあまりに申し訳なかったのです

誰もそこまで思っていなかったでしょうが

私は、自意識過剰さん、でした(^_^;)

 

次に私に訪れたのは、そういう卑屈な思いでした

ティーチャーになるという思いは

シュルシュル…シュルリシュルリ… 

本当に消えていったのでした

 

それに、MMMのティーチャーになるには

かなり厳しい試験があります

 

試験は普通に踊れるだけではいけません

生徒役の人に、指導するところを試験官に採点される

という、本当に指導者を育てるやり方です

他にも、ポートフォリオ、レポート、音楽理論、解剖学

 

現在は、少しずつ変わってきていますが

多くの課題を、一年の間で終わらせるというものでした

 

40数個もあるBasicのエクササイズに

それぞれ、その効果や注意点が「英語」で書かれています

訳して覚えて、正しくパフォーマンスして見せ

エクササイズの説明をしながら指導、等です

更にヴァリエーションのダンスも教えます

それは、音楽も自分で用意してエクササイズを生かした

エクササイズからはみ出さない、そのレベルの人が出来る

そういうダンスを指導しないといけないのです

 

(現在は、期間も課題も内容も、少し楽になっていっています)

 

その頃の私に、出来るとは思えませんでした

何より、テキストが全て苦手な英語ということが

私の気持ちを萎えさせるには十分だったのです

これは会話ではなく、文法です

私は英会話の為に、英検も受けました

合否が出るものを勉強した方が

張り合いがあるからです

低いのですよ、準2級

ある程度勉強し、会話もレベルUPしましたが

古いBritishは、手強すぎて見るのも嫌…       

 

私は、出来る範囲でレッスンに通い

一生徒としてMMMを続け

ぽつぽつとレベルを上げていきました

 

どれくらいの月日が経ったか

数年の時間が過ぎていたように思います

 

何かの時に先生が「幼児の為のエクササイズ」があって

その先生になるのは、大人のクラスの先生ほど大変ではない

そういうことを話されました

実際、新しいティーチャーは子供のクラスを持っていました

 

内容を聞くと、幼児さんのエクササイズを

物語を創ってその中に入れて、まるで遊ぶようにして

楽しく冒険の旅に出たり、お散歩に行ったりしながら

身体を使えるようにしていく

「Health Play」とうもので

身体だけではなく、想像力や観察力、集中力

右脳と左脳をバランス良く使う素晴らしいものでした

 

マーガレットは、ちゃんと幼児に相応しいものを

児童にはチルドレングレードというように

子供の身体に無理ないように

解剖学に基づいて創り上げていたのです

 

それに興味を持ったメンバーが結構いました

お話しを創る? 遊ぶように?

子供達が大好きな私の目の前が、パァッと明るくなりました

 

心はMMMに戻ったものの、伸び悩んでいた私

卑屈で嫌な私に、それは灯台の灯りのようだったのです

 

こっちだよ!

あなたの道は、こっちだよ

今までの経験が活かせる内容じゃないか

さあ、進むんだ!

 

そうか

それなら、出来るかもしれない!

 

ティーチャーという言葉が消えていた私に

子供達のティーチャーという、新たな可能性が見えたことで

ティーチャー ティーチャー ティーチャー ティーチャー!

私の気持ちは、↑ のように盛り上がっていきました

 

私はもう、40を越えていましたが

この挑戦こそが

全てのティーチャーの資格を得ている

今現在の私へと至る

初めの一歩となるのです

 

今日も最後までお読み頂き

有り難うございました

またご訪問くださいね(^_^)/