That's fine

英国人マーガレット・モリスが創ったダンスの事、音楽、日々感じた事などを書いていきます

【改訂版】ワークショップと試験と 発展していくMMM神戸&大阪 と私4

 

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これは何かと言いますと

MMMのエクササイズのレベルを示した図です

大人のクラスは、11レベルでこのように色で分かれています

 

Basicは、何故か青いですが、ベイシックと呼ばれています

一つ上はホワイト、次はイエロ-、オレンジ、レッド

という風に、カラーでクラス(レベル)を呼びます

因みに私は、まだ8段階目のクリムゾンにいます

 

私が復帰した1997年時点で、私はまだBasicでした

試験を受けて、上のクラスへ!などという考えは

全く持っていませんでした

まったり身体を動かせるだけで、結構満足していたのです

そう思うと、私の「先生の夢を叶えるんだ」という思いも

ホントに現実味を帯びない、ただの妄想だった

と、今思い出して恥ずかしい思いがします

 

当時、試験を受ける、とかよく分りませんでしたし

試験ができる体制が、まだ神戸には整っていなかったのです

 

と、思っていましたら!

 

復帰して初めてのレッスンの時に、私は見たのです

私の知らないエクササイズをしている人たちを!

 

神戸でもワークショップができるようになっていたのです!

 

ワークショップには、毎年トップ講師を海外からお招きして

色んなクラスや、試験などが行われます

復帰前年度はBasicの試験が行われ

そして、一つ上のWhiteのクラスが出来ていたのでした

神戸&大阪は、確実に成長を遂げていました

 

レッスンで見たものは、私の知っているMMMではありませんでした

とても綺麗な、なめらかな動きで

Basicとはかなり世界が違うものだったのです

私は、びっくりすると同時に、やっとMMMがダンスだと

はっきり分ったのでした

 

ダンスだと分って習っていたのでしょ?

そうなのですが、自分がダンスを踊っているとは思えませんでした

なんせ手足で必死でしたし、本当に動きが違うのです

 

たまたま見たのが、特に柔らかい動きのエクササイズだったので

私は、羨ましくなりました

 

私も、あれがしたい! ホワイトがしたい!

 

そう強く思い、悩んだ末に私は先生に言いました

 来年、Basicの試験を受けたいです! と

 

先生は、長くやっているから大丈夫よ、と了解して下さいました

でもそれはもう、12月だったのです

試験が受けられるワークショップは、次の春でした

間に合うか…

 

他にも、劇団などやっていましたので

私は、てんてこ舞いの生活をしていました 

 

それでも全てをやり繰りしながら

私は、今までにないくらい真面目にレッスンしました

メモをとって家でも復習。何とか試験を受けられるレベルに!

 

そして、次の春がやってきて

私は初めてのワークショップを体験します

 

ジム・ヘイスティ先生との出会いでした

 

マーガレット・モリスにMMMの後継者として選ばれた

素晴らしいダンサーです

 

経歴を少し、MMMのホームからお借りしました

 

1958-1960

スコットランドケルト・バレエ(Celtic Ballet)で、プリンシパルダンサー

1960―1961

スコティッシュ国立バレエ(Scottish National Ballet)でプリンシパルダンサー

1961―1962

ロンドンのウエスト・エンドのミュージカルに、アメリカのガウァー・チャンピオン(Gower Champion)の振り付けで出演

1963―1964

ドイツのオペラ・バレエ(Opera Ballet)で、クルト・ヨースの指導の下にソリスト

1965―1966

アメリカ合衆国とカナダで2度横断ツアーをし、アラスカとハワイを除くアメリカ全州を訪れて、プロデューサー、振付家、ダンサーの役をこなす

1967

ブリティッシュダンス・シアター(British Dance Theatre)で、プリンシパルダンサー、振付家、バレエ・マスターなどを勤める

1968

エジンバラ演劇学校(Edinburgh College Drama)で、 MMMとダンスを指導

1968―1980

グラスゴー大学(Glasgow University)の演劇部でMMMとダンスを指導

1967―1970

パントマイムやレヴェーのダンサー/振付家として活躍、 BBC―TVやITVの多くのテレビショーにも出演

1970―1980

スコティッシュ・バレエ(Scottish Ballet)で専属ダンサーとティーチング・スタッフを兼任 スコティッシュ・オペラ(Scottish Opera)ではダンサー、 振付家、 バレエ・マスターの重責を果たす

 

1975

マーガレット・モリスの要請でMMM(Margaret Morris Movement)インターナショナル・アソシエイションのパート・タイムの理事/指導ディレクターに

 

1975―1980

王立スコティッシュ音楽演劇アカデミー(Royal Scottish Academy of Music and Drama)でMMMとダンスを指導

1980‐

マーガレット・モリスの死去に伴い、 劇場での専属の仕事を辞め、 フル・タイムのMMMの理事/指導ディレクターに就任

                        MMMJapan ホームページより

 

その頃の私には、まだあまりピンとは来ませんでしたが

英語を話す先生が目の前にいるだけで、ドキドキしました

英会話に興味はあったものの、学生の時から英語は苦手で

先生の訳を聞きながら、先生って本当に凄いのだな

などと、感心するばかりでした

 

また今度、ジム先生のお話をいたしますが

本当に、本当に素晴らしい、ユーモアのある

素敵な先生でした…

 

こうして私は、試験で緊張しまくり

アワアワしながらもなんとか無事に終え、ついに

ホワイトという、次の世界に踏み出しました

私は一層真剣にMMMのお稽古に励みました

次はイエローだ!!

 

と、ここから先生への道をまっしぐら!

という筈でしたが…

そうはならずに、ぐるりと遠回りをしてしまいます

何故なら

私は、趣味であったお芝居創りに

熱中してしまったのです

 

 

今日も最後までお読み頂き、有り難うございました

次回は、ついにMMMに新しいティーチャーが生まれる日の事を

お話ししたいと思います
あ、その前にレッスンレポートが入るかもしれません

またご訪問下さいね(^_^)/